2021年1月6日水曜日

家庭的ということ

先日、ふと目にした広告に人気漫画家の老後の楽しみ方教本が出ていた。同じようなネタですでに何冊も出版しているのに、往年の漫画の読者が同年代になって漫画の代わりに買うらしい。この人の奥様もやはり人気漫画家で今はお子さんも独立して東京の豪邸に一人お住まいのようだ。夫の方の最近の著書では幸せな半別居生活が推奨されているようで、奥様の方のインタビュー記事からするとそこへ至るまでは相当な紆余曲折があったはずなのだが 、そういう面倒なことはすっ飛ばされている。端から家庭に無関心である一方で、絶対に離婚はしない主義を貫き通されているという。

夫になり父になることを拒否するなら別に結婚しなくても良さそうなものだが、裏切らない女を一人繋ぎ止めておきたいエゴがそこにあり、謂わば自分だけを守るセーフティーネットである。浮気をするのは自分がモテるからであって仕方がないこと。子供に関心がなくても生活費、教育費は出すのだから他人にとやかく言われる問題ではない。

この夫婦の場合は本気で意思をはっきりさせれば離婚できたと思われるが、そこまでする理由が見つからなかったそうだ。仲が悪いわけではないので、時々会うという別居スタイルがいい距離感を産んだというが、たどりついた結果でしかない。夫婦で別々に本を書けばそれぞれに信奉者がついてくるのだから結構なことである。

同い年の従妹は父親が収入の多くをゴルフやギャンブルに使ってしまうので教育費を出してもらえなかった。短大の入学費が払えなくてどうしても、とお願いしたら父親に胸を蹴られた。そのはずみで家具に頭をぶつけて怪我を負ったのだ。結局母方の祖母のへそくりでどうにか入学できたことを知って親類でお金を出し合った次第だ。そんな恥ずかしいことをされても自分の金は握って離さない、そういう父親もいる。

二つの家庭の共通点は、夫婦の一方だけがつらくてもう一方は何とも思っていないということ、そして人間として憎しみあっていないことだろうか。案外、男と女としては相性が良かったのではないかとすら思う。伯母(従妹の母)だって伯父の容姿に騙されたと言っていたし、死顔さえ「あんなに男前だったかしら」と目頭を押さえていた。モラハラ姑の面倒や受けた暴力のことなんか忘れたみたいに。

社会での一個人の顔、プライベートでの息子・夫・父としての顔。いくつものペルソナを持つことで立場も役割も増えていく。家庭に関心がないのは自分の新たな一面を見るのが怖いから、とは言えないだろうか。

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どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...