2021年6月8日火曜日

ブンガク回想

新聞の日曜版に、山田詠美が若い頃の回想録を載せていた。当時はまだ大学に籍は置いてあったが帰省してぶらぶらしていたある日、宇野千代の一文に出会ったそうだ。これが作家を目指すきっかけになったものの、小説を一本書くに至るには何年もかかったという。デビュー作は自分を追い込んで文字通り身体を張っての追求心から生まれたのだろうか、日本人の枠を超えた突き進むパワーが圧巻だった。何の共感もないのにガーンと一発殴られたような衝撃を受けて、一旦更地に戻った気分がした。迷って自信を失っていた20代だから出会えたのだろう。

文学を得体の知れないものと敬遠していたのは中学・高校と古典を教えてくれたベテラン先生の影響がある。黒いショール、真っ赤な口紅、グレイヘアをアップにしたいでたちだから女子生徒の評価は渋い。平家物語なら「大原御幸」まるごと、源氏物語なら「浮舟」まるごとが教材に上がってくる。いつも再試をくらう百人一首小テスト。降りしきる桜の下に立ちなさいと毎年同じことを言われた。ある文学サークルの重鎮である噂はあって、意外にもサバサバした色恋抜きの作品を書かれるということだった。

あと一人、学生時代に会った東北出身の同級生の存在もある。高校生の頃から歌壇にいるという彼女は先生の勧めで京都にやってきて、短歌とは全然関係ない学科にいる。実家はどえらい資産家で成績も良く指定校推薦で応募したら受かって来ただけ、将来どうこうとか言う気配がない。東京で短歌の先生に会うから、と言って青森に帰る時はいつも新幹線乗り継ぎだ。当時は遠くて大変だなぁくらいにしか思っていなくて、東京で何泊かしていくところまで考えが及ばなかった。思えばダントツに大人だったから話が合わなかったのだ、きっと。美人でもなくスタイルも普通なのに、独特のファッションでたまに出る津軽弁が何とも言えない雰囲気だった。

創作をするのでなかったら早熟でない方が幸せかな、と思う。ただ文学を全然知らないで死ぬのは残念な気もする。

どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...