2021年8月21日土曜日

Long Goodby

 『長いお別れ』(2019年アスミック・エース 原作:中島京子)を観る。認知症が徐々に進行する父を中心に、妻と姉妹の見守り・介護7年間を描く。寡黙で不器用だが優しい素直な一面もあってか家族に愛され、家族の意識が常に「お父さん」中心にある。その辺りが少し現実味に欠けるというか、もちろんそういうご家庭もあるだろうけど、娘の仕事や家庭に配慮なく呼びつける母親(松原智恵子)とそれに疑いもなく従う娘たちに違和感を感じた。妻が夫を介護するのを当然とは言わないが、お互いに扶養義務がある以上責任はあると思う。娘の姉の方(竹内結子)は米国在住で夫婦仲は黄色信号かつ息子は不登校、妹(蒼井優)は不毛な恋愛に振り回され仕事も上手くいっていない状況だ。「お父さん」に7年もしばりつける母親の考え方には共感できないのだが、私が薄情なんだろうか。

その一方で、山崎努演じる「お父さん」はどんどん認知症が進行し、夫でも父でもなくなっていく。いつか憧れたかもしれない、責任とか役割から解放された状態なのだが、人は自由になって幸せなんだろうか。穏やかな人はボケても穏やかに、というのは義母や実家の父の例を見てもそう思う。ただし初めからそうなのではなく、不可解な行動と排泄の失敗に家族はパニックを起こす。万引きなどやられたら、優しい気持ちなど吹っ飛んでしまう。記憶があやふやになるとともに性格にも特徴がなくなり、肉親がまるで知らない老人になってしまうのは、なかなか受け入れ難い。実際、認知症でなくても老化は即ち個性を失うことでもあり、この世からゆっくり退いていく「長いお別れ」なのだ。

若い頃はただ死は恐ろしく、もっと生きたかったと苦しみながら消えていくのだと思っていた。ところが中高年になると不思議に恐怖は薄れ、次第に「彼岸」が懐かしい人のいる場所へ変わっていった。しかも超高齢や認知症の人は病気でもあまり痛みを感じないようで、周囲としてはそれが救いになる。どんな死に様もその人の生き様なのだが、私の時は長引くことが無いようにと願う。




どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...