2021年12月31日金曜日
分断に怒りを向ければ
2021年12月16日木曜日
家族の問題
今年も残すところあと二週間、一年間で読んだ本や観た映画はそう多くないが、やはり好みが集中していたように思う。それは閉鎖的な人間関係、とりわけ家族に濃密な一年であったためだろうか、どうしても家族をテーマにした作品が印象深い。
小説に限らずノンフィクションでも先日手に取ったのは『8050問題 中高年ひきこもり、七つの家族の再生物語』(黒川祥子 集英社2021)だった。ひきこもりは家族のあり方と関係が深いと筆者は繰り返し述べ、それも家族ごとに千差万別であるとする。私自身50歳代となり様々な支えによって生かされている一方、社会的ひきこもりとも言える状況に自分の問題として興味深く読んだ。そしていくつかのケースのどれにも当てはまることは無かったが、せめて息子との関係をこうはしたくないと思った。家族の問題、とは言ってもいずれのケースにも母親が重要なファクターとして存在しており、虐待や支配、ネグレクト、過保護、過依存などなど親として機能していなかったことに起因する。父親がしっかりしていれば防げたかもしれないが、そこに夫婦の不仲があり精神的な弱さや病、あるいは先天的な障害なども加われば夫婦の絆など脆い。
そもそも問題という日本語の意味は広い。例えば英語のproblemを辞書で調べると類義語としてproblem, matter, question, issue などが挙がっている。これによれば8050問題などは社会や組織全体に関わる、解決されるべき「問題」であるからproblemがふさわしい。こうした状態は良いところが一つもないから、親子共倒れにならないよう各々自立することを最終目標とする。
主に小説や映画で取り上げられるのは、明確に答えがわかっているquestionではなく、個人的に決断を迫られているmatterでもなく、議論を必要とするissueに近いのかもしれない。それよりもっとグレーな、解決なんかできないようなモヤモヤしたものが「家族の問題」における問題なんだろうと思う。少なくとも今年私が目にした作品はどれも、全否定も部分否定もなく全肯定せざるを得ないような結末だった。
映画では是枝裕和監督の作品をいくつも観た。『万引き家族』『三度目の殺人』『空気人形』『海街diary』など。社会的にはアウトでもそういうのもアリじゃないか、全否定できないだろう?みたいな、単に「優しい」では括れない何とも不健全なリアリティが伝わってきた。だからつい家族の問題には答えがないのだろうと思ってしまう。
2021年12月10日金曜日
逸失利益算定の根拠
2019年大阪市で聴覚支援学校に通う小学5年生の女児が交通事故で亡くなる事件があり、その慰謝料などを決める民事裁判についてのNHK特集番組を見た。クローズアップ現代+ いのちの格差 逸失利益が問いかけるもの 2021.12.09 被告側は「逸失利益は健常者の4割まで減額すべき」と主張、これを障害者差別であるとして公営社団法人の「大阪聴力障害者協会」が署名活動を開始し数日で1万件を上回る署名を集めた、といった内容だ。全体に障害者差別は許さないという観点で制作されていたように思う。
途中まで一緒に番組を見ていた夫が、「これを認めてしまうと何でも賠償金一律◯◯円にしろって話にならんか」という。画面には逸失利益算定基準の変遷チャートが出ていた。私が生まれた頃の専業主婦の逸失利益はゼロである。「保険屋は値切るのが商売やからな」という夫のコメントには同意した。民事裁判なのだからケースバイケースで慰謝料の相場はあってないのが当たり前。そこは弁護士の腕次第というところだろうか。
最近話題のこじれた裁判のいくつかで被害者や遺族の心情について議論されることが多い。この事件でも差別撲滅を掲げた団体が世論を巻き込んで遺族を担ぎ上げたケースかと思い、テレビを消した。しかし次の日になってどうも腑に落ちない点があってキーワード検索しているうちにこんな記事が出てきた。「聴覚障害者の逸失利益は健常者の4割で十分」という発言について2021.07.17(障害者ドットコム)
詳しくは書かないが、NHKの番組で気づかなかった点が(単に見落としたのかもしれないが)あったので書き留めておく。
逸失利益4割の根拠は昔のろう学校長が命名した「9歳の壁」=聴覚障害者の成長は9歳(程度の能力)で止まる、からきている。その算出は保険会社によるものと思われること。
第7回法廷には原告側の弁護団から聴覚障害を持つ弁護士が2人出廷したこと。被告側の保険会社が積極的に障害者採用に取り組んでいると自社サイトに掲載していたことへの矛盾を追及する方針。
被告の重機運転者は持病のてんかんを隠し虚偽の申請で免許を取得していた、等々。てんかんは脳神経の疾患だが法律上は精神障害に扱われる云々。
近年では障害者雇用の可能性を鑑みて司法判断にも変化が見られるという。重度知的障害の少年が福祉施設から行方不明になって死亡した事例では、損害賠償の額を健常者生涯賃金から算出し、裁判所は施設側にその3割の支払いを命じた。全盲の高校生が交通事故で重度障害を負った事例では逸失利益が一審では全労働者の平均賃金の7割としたところを、広島高裁は社会情勢を考慮し8割とした。
社会情勢を鑑みて逸失利益を従来より高く見積もる傾向にある一方、健常者と比較して1%の差額があっても差別であるという姿勢を崩さない弁護士もある。社会情勢が好転するなら高く見積もり、逆に暗転すれば低くしてよいものか、結論の出ない問題である。
コラムは「あまり被告側(雇用主や保険会社含む)を誹謗中傷しすぎると判決や和解額に響く恐れがあります。「社会的制裁を十分受けた」と判断されると被告への処分が甘くなってしまうので、過度な正義感は抑えて今後の進展を見守りましょう。」と冷静な言葉で締めくくられていた。
児童の登下校中に起こった交通事故を前に、単独で学校に通える子が障害があるという理由で賠償金を減額されるという事実に、多くの人がショックを受け抗議の署名をした。この事例だけを見てものを言うのが危険なのはわかっているが、ここは部外者の感情丸出しで言わせてもらおう。将来どんなサポートやテクノロジーで活躍できたかもしれない子供が命を奪われたのだから、賠償金は健常者と同等に払って欲しい。成長にかかる時間にも個人差があり可能性は無限ではないが、少なくとも既に就労年齢に達している人より望みがあるとは考えられないだろうか。子供の定義を何歳に設定するかは議論の余地があると思うが、その可能性を鑑みて障害を賠償金減額の理由にして欲しくない。
ぼくの好きなおじさん
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