2021年12月31日金曜日

分断に怒りを向ければ

世界的な新型コロナウィルスのパンデミックも3年目を迎えている。様々な情報が飛び交ったが、世界広しといえども人種も地域や生活様式の違いも未知のウィルスの前には皆等しく、ほとんど差がないと改めて気付かされた。にもかかわらず「断絶」「分断」「二極化」の文字を見ぬ日はなく、それを一部の人の「正しい」考えで批判することが新たな対立を生んでいる。

2017年ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロがあるインタビューで語ったことが波紋を呼んでいるという。普段は多様性や反差別を謳っているリベラリストが、自分達の主義主張に合わないものには不寛容で排他的であるという矛盾を指摘したからである。そしてメディアにおいてエビデンスが軽視され、感情や意見が強調され過ぎている点もだ。参考:東洋経済オンライン『カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ』(2021年3月4日)

小学4年の時ホームルームで「忘れ物係」なるものが新設され、確かクラスで一番の「チクり」男子が係に抜擢された。忘れ物をすると用紙に書いて係に提出しなければならず、忘れ物の多い私はリストがたちまちいっぱいになる程だった。本来忘れ物を減らすのが目的だったはずが、基本的に自己申告にもかかわらず、係の目が気になって馬鹿正直に書き込むので、忘れ物は減るどころか増える一方。効果なしということで恐怖の忘れ物係は1学期のみで廃止となった。一体誰がそんな係を作ろうと言い出したのだろう。

コロナ禍では、マスク警察やら自粛警察やら奇妙な「正義」を振りかざす偽善者も現れた。
怒りの感情で対話は成立しないし、まして言葉の暴力では何も解決しない。政治的に「絶対に」正しいことなどありはしないのだ。




どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...