2022年1月12日水曜日

葦の髄から覗く天井

「メルボルンてどこよ」「四国でいえば室戸岬かな」など我が家では馬鹿馬鹿しい会話が日常的にあるのだが、 自然界はフラクタル構造に満ちており縮尺を変えればそっくりな形が現れるこの不思議。そう思うとこれから起きる近未来予測にも役立つというもの。

例えば世界的に猛威を振るう新型コロナウィルス。感染力は強いが重症化リスクが低い特性があり、経済的リスクも限定的という見方には意外な落とし穴がある。死に至るリスクの低いインフルエンザや、乳幼児が冬によくかかるロタウィルスなどでも一家4人か5人が感染するとたちまち状況は一変する。脱水症状になった乳幼児は数時間で命の危険があるが、付き添える大人が熱を出して倒れてしまったら救急車を呼ぶよりない。ありふれた病気でも重なればそれだけで医療はパンクする。

戦場で1人が撃たれたら救護に2人必要になるから殺さずとも脚を撃てば良い、よって前線部隊の装備は自動小銃で十分という話を聞いたことがある。何人先に倒したら勝ちといったシミュレーションはとっくの昔になされているはず。今時そんな状況があるのか、あっても実践で救護などしてもらえるのか疑問も残るが、大した攻撃でなくともダメージが同時多発の場合、機能不全になるのは想像できる。

今回のオミクロン株の最大の懸念は物流が滞りあらゆるジャンルの供給不足に苦しむことにつきる。だからかかっても大したことない、ことはない。一家全滅にならぬよう、できるだけのことはするという国の方針は間違っていないのだろう。ただヒトと病原体はどちらも生き物であるゆえに分からないことだらけで右往左往するのは仕方ないとしても、対策が何を優先しているのかその先に何を考えているか今ひとつ分からないのは理解力の問題だろうか。

どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...