2022年3月5日土曜日

ワンオペ育児の書

 1970年代、高度経済成長期の真っ只中に生まれた私たちは長じて団塊ジュニアだの就職氷河期、ロスジェネだのと言われてきた。少し年齢が上になれば新人類だの、バブル経済期にワンレンボディコンで踊っていたジュリアナ世代とかになろうか。どう呼ばれても生まれ出た時は裸の身一つ、みんな赤ちゃんだった。

その頃両親は社宅のアパート住まいで、お父さんたちは仕事へお母さんたちは一律専業主婦という集団の中にいた。日本全国津々浦々、核家族も男性の仕事時間も増える一方で子育ては母親の仕事というのは世間の常識だった。二世帯同居であればお姑さんに子育ての主導権を奪われることもあったろうし、実家に近ければ育児の知識をあれこれ教えてもらうこともあっただろう。

私の母の場合は、自分の母親が子供の時亡くなっているので知識面を実家に頼ることができなかった。切迫流産で安静期も長く難産で産後の体調も芳しくなく、不安だらけのスタートだったそうだ。そこで「これには助けられたわー」とボロボロになった一冊の育児書を見せてくれたことがある。

それが『定本 育児の百科』松田道雄(岩波書店 1967)で、私の出産の時も「出版が古いから参考にならないかもしれないけどお守り」と言って買ってくれた。カラーページはなく、たとえが古いが電話帳のように分厚いし赤ちゃん並みに重い。Amazonで調べてみると50年以上経って、今だに版を重ねて読み継がれているというから驚いた。いくら何でも内容が古過ぎはしないかと思う一方で、初めて育児をする人が陥りがちな不安に寄り添う文章にとても心温まるのだ。しかしその中に父親の出番がほとんどないことは、その頃から母親だけの孤独な育児が一般化していたことの顕れと思われる。

この育児書とよく比較されるのがアメリカの小児科医ベンジャミン・スポックが、1946年に刊行した育児書『スポック博士の育児書』である。実に42ヶ国語に翻訳され日本でも暮しの手帖社から第6版まで出版されたそうだ。育児の聖書とまで言われ米国の生活スタイルに合わせた赤ちゃんマニュアルとして世界中で5000万冊販売という絶大な人気を誇った。日本でもちょっと意識高い系の家には必ずあったはずだ。一方で「添い寝は自立を妨げる」「泣いても抱っこしてはいけない」などを忠実に守った家庭で、スキンシップ不足による愛着障害、思春期の非行や母親になってからの育児放棄などの問題が指摘されたりもした。その後時代に合わせ科学的知見を加えながら何度も書き直されてはいるが、より最新情報を求めるにはネットに勝るものはないだろう。

どんな育児書を選ぶにしろ、健康で優秀な子に育って欲しいと世界中の親が思っている。時代を経てもやはり育児に関しては母親に荷重がかかり、日本では特に父親が育児に費やす時間が少ないという。

『定本 育児の百科』1980年版では「父親になった人に」という項ではこんな一節が加わっている。「赤ちゃんが帰ってくる。君もいよいよお父さんだ。家庭のお父さんである君に一言いっておきたい。君は年々200人の母親が子殺しをすることを知っているか。/以前の大家族の時代には、古い世代がそばにいてくれた。いまは若い母親がひとりでせおわねばならぬ。父親が手伝わなかったら母親はせおいきれない。子殺しをした母親のおおくが、育児に協力しない夫をもっていた。」

「子どもをもった女の負担を少しでもへらしたい」という思いで書かれた本だからこそ、今もお母さんたちに読み継がれている。返せば50年間これを越えるものが出ていないとも、育児環境に大きな変化がないとも言えるのだ。





どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...