2022年9月5日月曜日

肝煎りでござる

 Amazonプライムビデオで『殿、利息でござる』(2016松竹)を視る。『武士の家計簿』の磯田道史『無私の日本人』に収録の「穀田屋十三郎」を映画化、「家計簿」と同じく古文書から浮かび上がらせた実話である。十三郎に阿部サダヲ、仙台藩第7代藩主:伊達重村にスケートの羽生結弦を起用したり、山崎努、草笛光子、西村雅彦、きたろう、松田龍平、妻夫木聡、竹内結子、永山瑛太など個性派揃いのコメディ。郡奉行に磯田先生もこそっと出演している。

「肝煎」「大肝煎」とは名主・庄屋と同義の村の首長のことで、東北や北陸で見られる役職名。今日では「誰々さんの肝煎りで」みたいな使い方をするが、本来は「心をイライラさせ、やきもきする」から「熱心に心を砕いて世話をする」さらには「苦労して二人の間を取り持つ」「あれこれ世話を焼く」意味に発展していったらしい。

大肝煎が代官に上書の取り次ぎを願い出、それがお城で一度却下された旨を告げられる際、労いに反物を頂戴するシーンがある。代官所がものすごく遠い山中であること以上に、もう面倒を起こしてくれるなよというサインでもあり、以来大肝煎りは再度の申し出に積極性を失ってしまう。

記録に残らない部分を想像を逞しくして補う作業は小説の分野になるかもしれないが、書かれなかった所にこそ人間らしさが詰まっている。昔の人が何を考えこういう行動に至ったかをたどる作業は郷土史研究において大切なことで、結果「昔の人は偉かった」となって多少美化されても、今に生きる土地の人を勇気づけるなら大目に見たいところだ。本当に真実に迫りたいのなら、記録を残した人の背景をも紐解かねばならない。

矛盾だらけの藩政にただ抵抗するのではなく、大店が金を出し合って苦しい伝馬の負担をお上への貸付金の利息で補うというアイディアが命懸けだ。この仙台藩吉岡宿の話は寺の僧侶が書き残した記録が元になっているという。知恵と篤志で村を守ったことを是非とも後世に伝えたかったのだろう。和尚様、良い話を残してくれてありがとう。






どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...