祖母が老衰で亡くなって一年と少し、大正15年12月生まれだから最後の大正生まれ。先日崩御したエリザベス2世は同年4月に誕生。同年生まれの有名人を見るとマリリン・モンローがいたりして、早く亡くなる人に比べたら超高齢と思っていたら、まだ存命の有名人も多い。
去年のことなのに随分と時間が経ったような気持ちでいるのは私だけではないようで、祖母の容態を気にして施設へせっせと通っていた母が、老衰の人の終末期をあまり覚えていない。父が同じような状況にあるにも関わらず「そういえばそうだったかな」と頼りなく、逐次母が報告してくれたことを私が思い出すという状況である。
ネット検索するうちに、玉置妙優『死にゆく人の心に寄りそう 医療と宗教の間のケア』 (光文社新書)という本の書評が出てきて早速読んでみることにした。父は急性の病気の他は至って健康で、10年も認知症のため夢の中で暮らしており、相当前から意思疎通が厳しいため当てはまらない部分も多かったが、亡くなる直前の身体の変化については看護師(かつ真言宗の僧侶)としての経験から医学的に詳しい表現がなされおり大変参考になった。
玉置妙優さんは最初のお子さんが重度アレルギーを持って生まれてきたため自分でケアしたい思いで看護学校へ入学し、難しい子育てをしながら看護師となった。実家の支えもあってのことだろうが、資格取得後は病院勤務の看護師としての仕事を希望すると夫の理解を得られず離婚。その後何年か経って出会った人と再婚、二人目の子供を授かるが夫は57歳で大腸癌がみつかり60歳で亡くなる。最後の半年は病院で治療をせず、玉置さんが自宅で看取った。その経験を生かしたいと今度は高野山で厳しい修行を経て得度したという、大変稀な存在の方だ。そのまた学生時代にシルクロードを旅し西安で立ち寄ったお寺が空海ゆかりの地であったそうで、そこが原点であり何かの導きがあったのかもしれないと書かれていた。
私の知る一昔前の人達は大抵が何らかの病気で入院し、点滴に繋がれて病院で亡くなっていた。今は終末期を迎えた患者には痰が増えたり浮腫んだりと、苦しくなるだけなので病院でも点滴はしない。ただ延命治療をしないとなるとできる医療行為がなくなるので即退院となり、そこから在宅診療をしてくれるクリニックを探したり家族は不安だらけになる。今回は病院からの働きかけもあって介護施設の再入所が可能となり、本当にありがたかった。
広いリビングに介護ベッドを置いて子や孫に囲まれて惜しまれて死んでいくのが理想で、それに近づけるのが施設の務め、ご家族はできるだけお側に、というような善意のプレッシャーを母は感じて辛そうにしている。もっと昔なら家族総出で介護に当たり看取ったのだから、と思えばできるだけ側にいるのは当然のような気がしないでもない。母の近くに住んでいれば迎えに行って施設の往復をしていたかもしれないし、そうするご家庭は多いとも思う。
できることを全てしても後悔は残ると玉置さんは書いている。だとしたら旅立ちの支度をしている父を思うことも、寄り添うことにならないだろうか。私たち家族には良い思い出がたくさんあるし、何気なく一緒に過ごした時間も十分あったから、面会の回数にはこだわらない。そうは言っても、落ち着かない日々が続いている。