2022年9月16日金曜日

渡り鳥でいこう

 台風14号が北上し、ここ近畿地方には熱い風が吹いている。こういう光と暑さにふと思い出したことがある。小学3年生くらいだったか、夏の終わり父と二人で伊吹山に登った。伊吹山は標高1377mの岐阜県と滋賀県の県境の山である。あまり高くないとはいっても金剛山1125m、六甲山931m、比叡山848m、生駒山642m、天保山4.53mと比較するでもなくハイキングにしてはキツい山なのだ。

しかも山全体が石灰岩で出来ているため高木が生えず、木陰一つない乾いた登山道をひたすら登らねばならない。冬は日本海からの湿った空気で豪雪地帯になり、夏の間は乾燥して高山植物がどうにか生えている。薬草が多く自生するこの地には織田信長の薬草園があったとか。そんな厳しい環境で、近年は鹿が貴重な花畑が食い荒らしているという。あの時も雨の降らない夏だったのか山頂付近は砂埃がひどく、トリカブトの花にときめいた以外楽しい思い出がほぼない。美しく広がる琵琶湖の風景も見るには見たのだろうが、小学校3、4年生あたりの関心といえば「巨大生物の謎」「忍者の秘密」「知られざるアマゾンの秘薬」だったから。

父は学生時代ワンゲル部に入って各地の山に登っていたそうだ。若い人の為に簡単に説明すると、19世紀後半流行したドイツの青少年野外活動Wandervogel(渡り鳥)にちなみ、日本で昭和30年代大学生の間でワンダーフォーゲル略してワンゲル部と名付けた野外活動クラブが流行、日本には山地が多いので活動はスキーや登山、キャンプが中心となった。登山専門には別に山岳部が存在するから、どちらかというとチャラい系とも言えるが、家庭教師のバイト代を貯めて夜行列車の切符を買ったと話してくれた。

父はおとなしい性格だったので、戦争から帰ってきた祖父はそれが気に入らず何かと暴力を振るった。かけっこもボール投げも苦手で工作ばかりしていたが、京都岡崎の琵琶湖疏水を利用した水泳教室に通ううち上手になり体力もついた。球技というのは生まれ持った才能もあるが、幼いうちに繰り返し訓練しないと感覚が身につかない。その点、登山やスキーはスポーツでも球技や陸上とは違って自分に合っていると思ったのだろう。ものすごくいい笑顔の写真が残っていてこちらも思わず笑顔になってしまう。

病床に長く眠り続けている父がどんな夢を見ているか考えてみたら、やっぱり山かなぁと思った次第。

追記:このブログを書いた夕刻、父は他界しました。風の便りだったのかもしれません。

画像は本文に関係ありません(^^;


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