2020年11月15日日曜日

マッチングの夜明けぜよ

マッチングアプリというものが流行している。コロナ禍も影響してなかなか普段の生活で男女の出会いが少ないこと、スマホを使って写真や動画で情報発信することに余りに抵抗がなくなったことの現れかと思う。ちょっと検索しただけで100サイトの中から優良18サイトをご紹介!などという記事が出てきたり、未成年の冷やかし中心で危険な出会い系から真面目に結婚相手を探す目的のものまで玉石混交というがどこまで本当なのか分からない。

総じて容姿良く加工された写真が掲載され、年齢や趣味などから興味を持った旨のサインを出し、相手も興味を持ったらメッセージ交換とかになるのだろうか。ここでもやはり加工されたとはいえ写真が重要だ。そもそも見合いは釣書に写真がなくては始まらない。

ところで所謂まじめなマッチングサイトでどれくらいの人がマッチングして、おつきあいに発展するのだろう。昔の見合いは親戚のおばさんの顔を立てて気分は乗らないんだけど〜みたいな甘えを引きずってでも成立した。私の頃にはもう見合いはごく少数派でそれゆえ一層、ご立派とは言い難い経歴に気に入らない写真をつけて、屈辱感を押し殺して臨んだ。結婚したいから相手を探すのは順番が逆だと思っても、それが社会の一員として認められる事だと暗に言い含められて。

一方サイトから自分で選んだ経歴と容姿の持ち主と会うということは、ストレートに自分の商品価値を晒すだけに昔の見合いより緊張するんじゃないかと思う。中には全然気にしないで直感的に選ぶ人もいるだろうから一概には言えないが、多くの人がストレスを感じながら利用しているのではと思う。家族が欲しい、子供が欲しい。要求が一致すなわちマッチングと、そう簡単にいくものだろうか。見合いの回数は増やせても色眼鏡をいくつもかけた状態では本当の意味での出会いにならないと思う。

世間一般的にビジュアル点の低い人はこうしたサイトでは圧倒的に不利だが、実際の恋愛の世界では必ずしもそうではない。見た目不利な人ほど実践で荒波にもまれるから魅力的になれる可能性もある。今後、仮想現実はより現実に近づいていくのだろうし、マッチングサイトもまだまだ黎明期といえるのかもしれない。



どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...