2020年7月22日水曜日

瀬戸内シネマパラダイス

モリコーネの逝去で関連の映画音楽が注目されている。思い浮かぶのはなんといっても「夕陽のガンマン」のテーマだろうか。もの哀しい口笛にネイティブアメリカーンな乾いた埃と汗と馬の匂いがする。

10代の頃、洋画は母の影響で結構古いものも観た。『夕陽のガンマン』でも大概昔だと思っていたが、クリントイーストウッドの初主演ドラマが『ローハイド』だと知って改めてこの人も長く活躍してるなぁと思った。『ダーティーハリー4』『マディソン郡の橋』など知る限り爺さんというイメージなのだが、ずっと映画界にいるというのは偉大だ。

モリコーネが音楽を担当した『ニューシネマパラダイス』(伊: Nuovo Cinema Paradiso 1988)の舞台は、戦後間もないシチリアの教会跡を使った映画館。いつか母が語ってくれた子供の頃の記憶と被って、見たこともない景色がそれとなしに浮かんでくる。

戦後肺結核を患ったが九死に一生を得た祖父は町工場を復興した。その工場の落成式の日、祖母は34歳の若さで亡くなった。結核が伝染っていたのに大した治療を受けることができなかったのだ。残された母と叔父はよく山口の祖母の実家へ預けられていたそうだ。山口の田舎町には映画館が1軒あって、11歳かそこらの母は地元のおじさん達に紛れてしょっちゅう潜り込んでいたらしい。任侠ものだのサイレント映画だのジャンルを選びようもなく、寂しさを紛らさせる格好の場所だったという。

夏休みが終わりに近づいて祖父が大阪から迎えにくると、決まって祖父の再婚話が聞こえてきて、叔父がまだ小さいのに可哀想だとか母だけ山口においていけとかが耳に入ったそうだ。祖父はその後何度か見合いをしたというが、必ず母を同席させるのだ。わだつみ世代で婚期を失った女性でも、思春期の娘を見合いに連れてくる男にはドン引きだろう。最初からその気がないのか、家事をして母親の務めを果たすなら結婚してもいいくらいの態度なのか。結局見合いは成立せず、同じく婚期を失いこのまま義妹でいいなら嫁になりますと来てくれたのが、今の私の祖母である。

漁師町のきつい日差し、田舎の映画館の看板が一つの原風景となっている。

2020年7月19日日曜日

静かにドアを閉める

映画『マディソン郡の橋』1995年【米】を観る。いまや御年90歳のクリントイーストウッドが65歳のときの監督・主演作品。最初は監督もキャストも別の人だったはずが、巡り巡ってイーストウッドにお鉢が回ってきたという。原作では男が52歳だから小説ファンにとっては不満もあるだろうし、役作りに体重を増やして挑んだというメリル・ストリープの中年体型はリアル感が出過ぎてちょっと、という趣もある。内容も既婚女性の恋愛であることから賛否両論、小説がいいとか映画がいいとか好みの分かれる作品である。

イーストウッドが是非この役を、とオファーをかけたメリル・ストリープ(当時45歳)について他のスタッフは歳を取りすぎていると批判的だったそうだ。中年のイタリア人女性を美形モデルが演じたら全く別の映画になっていただろう。メリルは前年には逃亡中の強盗犯とゴムボートでラフティングする羽目になる映画『激流』で主演女優賞を獲得している。あの筋肉質で精悍な女っぷりと比較すると仕事への本気さを感じてさらに面白い。

『マディソン郡...』を観て良いと思ったので原作の方も読んでみたが、私は映画の方がより精神的で多くの人の共感を得るだろうと思った。小説では写真家の男のワイルドな性格と肉体が女の心を揺さぶる様子がしつこいが、映画ではイーストウッドの味付けなのかその辺はわりとあっさりである。もっとも日本には昔から可愛いものがあふれているので、女性的であったり文学的・ロマンチックなものへの渇望が伝わりにくいかもしれない。

写真家の男がドアを静かに閉めるのを、女が「夫とは違う」と感動するシーンに思わず共感してしまう。最後に男が去る時もやはりドアは静かにパタン、と閉められる。監督のこだわったところではないかと思うのは私だけだろうか。ドアの開け閉めは性格や感情が出るものだ。ガンマンが酒場の扉を開ける、刑事が犯人宅に押し込む場合などは思い切り良く、で構わない。逆に閉める方は勢いよくバタン!といくと怒りの感情や雑な印象を与えるから気をつけたい。

人はそんなつまらぬことで恋をするものだ。一時のときめきを本当に忍ぶ愛にして貫く人生がどれほどあるだろう。結局、旅から旅へノマド的に生きることと共同体の一員として生きることは相反しており、両者の深い溝は埋まらないのだ。簡単に会えないからドラマなのであって、キャストが少々くたびれているが大昔からの普遍的なテーマには違いない。

映画では母親の純愛を理解することで、兄妹が自分たちの離婚寸前の家庭問題を解決していくというハッピーエンドにもちこませているが、小説はそこまで楽観的ではなかったように思う。理解したのは娘だけで、息子の方は最後まで理解できないのが現実的だろう。「だんだん親父に似てきたって言われるんだ〜まいったよ〜」とか言いながら思いっきりドアを閉めているんじゃないかな。私ならそんなエンディングにする。

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2020年7月9日木曜日

里山のやまおやじ

芸能人が自分のルーツを辿るテレビ番組が好評らしい。思わぬ人や歴史上の出来事と関わりがあったりで、最後は幸せな気分になるようまとめてある。
自分に関して言えば三代前、岡山で種苗店を営んでいた曽祖父が一家で京都へ出てきて炭問屋を始めたという情報を深めてみたい。

炭を売るなら岡山から汽車で運べば良いというものだが、あえて曽祖父が京都に着目したのは大正から昭和はじめにかけての風流人人口の多さと教育レベルの高さが決め手だったと思う。加えて円町に店を構えたのは山陰線の駅前で物流の拠点だから。当時は煮炊きにも暖房にも木炭は欠かせなかったが、一般家庭だけでなく寺社や上流家庭向けに茶道用の炭の需要もそこそこあったのではないだろうか。茶道の心得は殆どないので一回の御茶事でどのくらい消費するかも分からないが、茶の湯炭は材質や形寸法など事細かに決まっており、セットで一箱何万円もする。裏千家・表千家・武者小路千家それぞれに使用する炭のサイズが微妙に違うので注文に合わせて切ったり、枝炭に胡粉を塗ったりもしていただろう。

バーベキューや焼き鳥で使用されるウバメガシなどから作る備長炭は火がつきにくいので、茶の湯炭のメインはクヌギが材料の黒炭。いずれもドングリをつける広葉樹で煙が少なめで火力の強いことが特徴だ。クヌギは「国の木」が語源と言われるほど日本人の暮らしに根付いた木で、古事記や万葉集にも登場する。植林から10年ほどで材木として使用可能であり切り株からも芽が出て繰り返し継続的に利用できる。

鹿が芽を食べないように切り株をわざと高めに伐採して、そこから枝が伸びてくると木は何とも言えない姿になり所謂「台場くぬぎ」になる。以前合宿で行った滋賀県マキノでは「やまおやじ」というんだと教えてもらった。古くなって一部根元が空洞になった姿は呻き声をあげているようにも見え、やまおやじの名前にふさわしい。その程よい太さの枝を切って椎茸のホダ木にしたり、乾かしておいて規格通りの炭を焼くのである。茶道で喜ばれるのは菊炭と言われる切り口が樹皮がぴたっと付いていて中心から細かな割れ目が均一に広がる上質な炭。やまおやじからすくすく伸びた枝でなければ菊炭は焼けない。

子供の頃住んでいた北摂の能勢は戦国時代から近現代にかけて銀や銅を採掘する鉱山があり、その精錬のための炭焼きが大変盛んだったという。茶道でも良質の炭の産地として西の池田、東の佐倉と言われたそうだが、この池田は能勢の山里から下りた玄関口に当たる地域である。かつて40軒ほどあった炭焼き業も今は2、3軒まで落ち込んでいる。下草を刈ったり年々ひどくなる鹿害の対策など里山の管理が難しくなっているのも一因という。茶道人口も減っているが茶の湯炭の供給も厳しくなっている。エネルギー革命とともに失われる文化を残すため、本物そっくりに見える二酸化炭素も排出しないフェイク炭を作るよりないのか。

2020年7月8日水曜日

爽やか自己啓発

20歳の誕生日を迎えた息子は今日もオンライン授業である。休み時間の友人との語らいや、キャンパスを忙しく教室移動するはずの時間は2階と1階を行き来して顔を合わせるのは老けた母親のみである。思えば入試期間を含めて半年くらいこんな暮らしをしており、加えて高校生の息子も休校期間3ヶ月が終わった後部活も辞めたのでずっと部屋に篭っている。
非常事態を嘆いても仕方がないが、私のような引きこもり主婦がさらに引きこもる要因が積み重なっていく。苦しいと思ううちはまだまともなんだろうか。

そうはいっても子育てがまだ終わったわけでなし、多くの動物は期間の差はあれ次世代が自分で餌を取るまで面倒を見る。半人前の親でも産んでしまったからには半人前なりにやるしかない。喧嘩したり嫌われたりすることを怖がるのはやめよう。

近くやってくるであろう息子の就職活動に、いかに母原病(古くさい社会学の用語だ)の悪影響を及ぼさないかが私の課題だ。すなわち、余計な口出しをしないための知恵をつけたいがために若者向けの本を1冊チョイス。喜多川泰「手紙屋」。

主人公の青年は就職活動の中でいつか起業する夢を持ち、周囲に応援されながら実現に向かって進んでいく。正直、爽やか過ぎて中年期を過ぎた私にはもう役に立たないと思われるが、一点だけできそうなことがあった。手紙屋が提案する「本を読んだら自分の意見をまとめる」作業。どこにも書いていないが、きっと著者は日頃から実践しているのだろうと思う。小さな行動ではあるけれど続けてやってみたいと思った。

2020年7月7日火曜日

怪人は心の中に

イタリアの作曲家エンリオ=モリコーネ(91)が亡くなった。
モリコーネといえば真っ先に出てくるのが「ニューシネマパラダイス」、トト少年が足繁く通う乾いた田舎の映画館。是非近いうちネットでレンタルしよう。

当時不謹慎だという理由で検閲でカットされたフィルムを、映画監督となった少年が見るシーンが観客をもうとにかく胸いっぱいにしてくれる。一点のためらいもない甘く切ないモリコーネの音楽あってこそ、無音で見たら何といういうことはないキスシーンの羅列なのである。

もうひとつ映画音楽としてオペラ座の怪人(1998年)も担当しているようだ。動画でちょっと見たけれどどこがモリコーネなのかよく分からなかったが。映画も古くは1925年、新しいのは2004年のものなどいくつか作品があるがこの映画(1998年ダリルアルジェント監督)はかなり暴力的でホラーが入っており、怪人はロック歌手みたい。

1990年代日本でもミュージカルがブームで「オペラ座の怪人」の他、「コーラスライン」や「CATS」、「ライオンキング」などブロードウェイミュージカルを劇団四季が日本語で演じた。都心に贅沢な劇場が出来たり看板を見ているだけでワクワクするようなムードだった。

学生時代に頼りなげに終止符を打ち、阪神淡路大震災の直後だというのに、いいから行ってこいと送り出してもらった友達との欧州旅行。食中毒にやられた青い顔で買い物にやってきましたピカデリーサーカス。Tower RecordsやGAP、無印良品が目抜き通りを埋め、ハロッズのアフタヌーンティーは中華系のおばちゃんが給仕してくれた。ここでなければ出来ないことといえば、ミュージカルでしょ!てなことでチケットショップで買ったのが「オペラ座の怪人」。これなら英語がさっぱりでも大丈夫。

衣装も舞台も音楽も素晴らしかった!次はオペラ観ようと思いつつ、およそ劇場というところは以来行く機会もなかったが、今も微かに鳴っている
♫ The Phantom of the opera is there〜 inside my mind ...

動画:オペラ座の怪人 25周年記念公演inロンドン名場面 Mascarade





ぼくの好きなおじさん

 やっと猛暑から解放されたと思ったら10月も終わってしまった。慌ただしく自民党総裁選、衆院選が行われ、さらには首相指名選挙と政治の空白期間に不安しかない。不安というなれば今から50余年前、私が赤ん坊だった頃の日本は沖縄が返還された一方で、ベトナムへ向かう米軍の出撃基地だった。母が...