『空気人形』(2009年アスミック・エース 監督:是枝裕和)を観る。人間関係に疲れた男の部屋にある型落ちのラブドール、名前は「希望=のぞみ」。ある朝なぜか「心」を持ってしまい、男が出勤すると外の世界に歩き出す。レンタルビデオ店でバイトしたり恋をしたり、言葉を覚えてだんだん人間らしくなっていく一方で、代用品でしか存在できない自分に苦しさを覚える。そして出会う人はみな心に虚しさを抱えて、人を愛し共感し繋がることから遠ざかっている。ある日持ち主の男は新しいラブドールを買ってくる。心を持った人形を見て男は「できたら人形に戻ってくれへんかな?人間は面倒くさいんや。」と。ビデオ店の青年(井浦新)は人形に空気を抜かせてと求めてくる。
人形でないとダメなんだ、そう思われた時人形は心を持ってしまうのだろうか。身体は空っぽのままなのに、空っぽだから必要とされることも気付かないで。もう10年以上も前の是枝作品だから最近のものより刺激的かもしれないが、さまざまな隔たりを感じる今にこそ素直な気持ちで観て欲しい。命と心の居場所について、人間が人間らしくあるとはどういうことなのか考えてみたい。コロナ禍の今は程度の差はあれ誰もが人との関わりを薄くせざるを得ない状況だから、心に空洞を抱えているような感覚はじんわり沁みる。
人形は自分を作ってくれたラブドール工房の男に「生んでくれてありがとう」と言って、心を持ったことは後悔しなかった。役目を終えて廃棄されることは哀しいばかりではなく、その点では人もモノも大きくは違わないのかもしれない。できれば空気以外のもので満たされたいけれど。